zenioのゲーム記録

自分用ゲームプレイ日記

【レビュー】Detroit: Become Human (記事後半はネタバレあり)

 

 

PS3で「ヘビーレイン」を作ったQuantic Dreamの作品。
ヘビーレイン同様、様々な行動をQTEによって行うアドベンチャーゲーム
本作は2030年代の近未来、人間と見た目がそっくりなアンドロイドが実用化され、労働から家事の補助、そして軍事用と、まで軍需から民生用途まで大きく普及した社会が舞台となっている。
そんな世界観の中、それぞれ立場の違う3人のアンドロイドを交互に主人公としながら物語が進んでいく。

本作の特徴は極めてリアルなグラフィックとアンドロイドの自我の獲得というSF的なテーマ、そしてプレイヤーの選択によって変化する膨大な物語の分岐だ。

20時間ほどでクリア。大体の大きな分岐の行先は見た。
凄いゲームだが凄く面白いというほどではない。
ゲームで遊ぶ面白さというよりも、アトラクションを体感する面白さに近いかもしれない。
似たようなゲームがないのでプレイする価値はある。

何が凄いのかというと、分岐のパターンがとんでもなく多い点だ。
このパターンの膨大さが何を生んでいるかと言うと、没入感だ。
プレイヤーの細かい行動や選択一つ一つが未来の物語の展開に大小の影響を与える。
まるで自分の振る舞い一つ一つに世界が反応を返してくるようで、この細やかでダイレクトなレスポンスが他のゲームでは味わえないレベルの没入感を生んでいる。
一般的に分岐の多いアドベンチャーといっても、隠されたルートをアンロックするフラグを立てていくようなタイプのものが多い。そういう考え方で作らないと、製作上フラグ管理が大変になるからだ。
フラグ管理の煩雑さを考慮せずに膨大な分岐を取り込んだアドベンチャーゲームを作るとどうなるか?という疑問への答えがこのゲームだとも言える。

しかし分岐の膨大さは没入感と引き換えに、物語の面白さそのものをやや損ねている。
その理由の一つが張った伏線を活かしきれないということ。拾ったアイテム、発見した事実、キャラクターの気になる言動などが展開によっては全く活かされないまま進んでしまうので、どうしても行き当たりばったりでご都合主義的な展開に感じられてしまう。

また主人公が三人いるという事も分岐が膨大になっている原因の一つだが、この点にも功罪がある。
三者の視点から物語を描くことで物語に深みが出て、またあるキャラクターの行動が別のキャラクターの物語に影響を及ぼすというゲーム的な面白さを生んでいる。
同時に、対立する二人のキャラクター同士の双方の内面をプレイヤーが規定するという緊迫感のなさが発生してしまっているのが難点で、折角の没入感を大きく削いでしまっている。敵が襲ってくるかどうかという瀬戸際で、急に敵の視点になって襲うか見逃すか?などという選択肢が出たら萎える。

あと、仕様上やむを得ないのかもしれないが既読スキップ機能がないなどリプレイ性は最悪であり、膨大な分岐を埋めていくという遊び方をするにはあまりに苦しいのもゲームとしては大きな難点。

また、この物語が異人種や移民に対する差別、排斥問題のメタファーであることは比較的分かりやすい。道具立てや演出などにはSF感があるが、アンドロイドが自身の自我についての疑問を持つことはほとんどなく、体の作りが違うだけで内面は完全に人間と同じ存在として描かれるので、そういうものを期待していると若干物足りない。

以下ネタバレに触れる。

 

【全体的に】

物語の結末は大きく分けて二種類あって、人間とアンドロイドの共生か、どちらか一方が生き残るまでの殺し合いの始まりかだ。

作品内で語られる内容ではないが、殺し合いルートのエンディング後の世界について考えると、アンドロイドは仲間の量産体制を確立すれば勝ち。成人するまで20年近くかかる人間に対して数の上で圧倒的に優位に立てる。アンドロイドの量産工場もデトロイト支配下に置いたことで押さえているので、後は必要な資源と部材の安定供給体制を確保できれば勝利だ。これもデトロイト以外の都市に存在するアンドロイドの物量から考えるとそれほど困難ではないだろう。(米軍の2/3が既にアンドロイド兵に置き換えられたという説明がある)
生存競争において、生物として考えたときにアンドロイドはエネルギー補給がほぼ不要であったり、一般的な生物には生存の厳しい環境下でも普通に活動できたりなど、今後の地球環境の激変や宇宙進出にも耐えられることは容易に想定されるため、人類のDNAではなくミームをより永く後世に残すという意味では実はこちらの方が適者生存の原則の上で有利と言える。アンドロイド技術開発者のカムスキーはこういうことを念頭に置いていたのかもしれないが、ゲーム内では何も語られない。

共生ルートはどうだろうか。アンドロイド視点に立ったプレイヤーから見れば、共生を選択するメリットはほとんどない。戦略的に武力で一気に人類を駆逐するか、それとも安全確実にゆっくりと駆逐していくかの違いでしかない。こちらの方が確実性はあるとも言えるが、そもそもこの結末に至る経緯がギリギリの綱渡りの連続で、しかも最終的には人間の善意にゆだねていることを考えれば結果論でしかない。
共生を選択したところで、生物としては圧倒的に優位なアンドロイドがいずれは人類を平和的に駆逐していくことは明らかなので、結末としては変わらない。そういう意味では、アンドロイドを発明し、実用化して普及させた時点でシンギュラリティを不可逆的に超えてしまっている。

何が言いたいかと言うと、三人の主人公が何をして何を変えようと、結局はカムスキーの掌の上で踊っている形になってしまっており、物語的には虚しさが残る。


【カーラ】
カーラのストーリーラインは比較的一本道で、キャラクターとしてのブレは少ない。
お話としても親から虐待を受ける女の子を連れ出して、警察に追われながら泊まる家もないまま当てを探しては困難に襲われるという、王道の展開で安定している。

特に圧巻なのは最終章のリコールセンタールートである。
アンドロイドは家電製品という扱いなので「リコールセンター」という名前がついているが、実情はホロコーストである。銃で脅されながら服を脱がされ列に並ばされ、順番に解体の工程に送り込まれるという直接的な強制収容所のメタファーは、本ゲームの特徴である没入感ともあいまって、プレイヤーに強烈な印象を与える。強制収容所に収監されてガス室に送られる体験をここまで没入して体感できるゲームはたぶん他にないだろう。

中盤でアリスが人間ではなくアンドロイドだった、と判明する展開は、そこに至るまでのお話に様々な矛盾を発生させてしまう上に、プレイヤーに対しても「今までのお話は何だったの?」と困惑させるだけで、物語上非常に大きなキズになっているのだが、最終盤にリコールセンターでの展開をやりたかったのであえてこうしたという事は伝わってくる。というか、ここまでリコールセンターのルートに強烈な展開を用意しておくなら、さほど盛り上がらない国境越えのルートは要らなかったのではないだろうか。そもそも国境を超えたところで家なし、金なし、仕事なしの状況は変わらないので…。


【コナー】
刑事モノの定番として、最初は反発していた相棒のハンク警部補と最終的に友情を深めていく話がベースになっているが、分岐によってはハンクをぶち殺したりマーカスと敵対して物語のラスボス的な立ち位置に立つこともできるなかなか面白いキャラ。
ただ、マーカスが直接触れなくてもアンドロイドを変異させることができる描写があることを考えると、コナーが変異しないまま物語が進んでいく状況はどう考えても不自然で、それに対するフォローは必要不可欠だった。例えばアマンダの存在がコナーの変異を食い止めているので、変異のためにはまずアマンダとの対決が必要だったとか。

最終的に変異したとすると大量のアンドロイドを製造工場から解放してくる役割を担うことになるが、平和ルートの場合別にその行動の必要性がなかったよね…となってしまい、分岐システムの犠牲になった感がぬぐい切れない。

3人の中ではもっとも機械的な振る舞いをするような立ち位置のはずなのだが、コイン投げの癖や会話の端々に至るまで、いちいち人間臭くて、表情のないマーカスの方がよっぽど機械っぽいのが興味深い。


【マーカス】
物語の中心にいる人物だが、表情が変わらないし何考えてるか全く分からないので気持ち悪い。プレイヤーの選択によってジョンレノンのような平和主義者にもなるしゲバラみたいなイケイケの革命家にもなるが、どちらのキャラに転ぶにしてもそれまでの経緯の描き方が中途半端で納得感がない。
マーカスが平和を希求するようになるか、それとも闘争を望むようになるか、おそらくそれを規定するポイントはカールとの関係性の中にあるはずなのだが、カールは早々に死ぬか後半にちょろっと再登場するかで、物語的に完全にカールの扱いを誤っている。

あと、ノースと恋人関係になるのもちょっと理解できない。
正しく言えばノースとだけ恋人ルートが用意されているのが理解できない。
アンドロイドに性欲はないはずなので、本来パートナーの組み合わせに男型か女型は関係ないはず。
エデンクラブの女型アンドロイドは同性型の間で愛情を成立させていた描写もあった。
であるならば、ノースと思想的に対になるジョッシュと恋人関係になるルートもあって然るべきでは。
そもそも「恋人関係」という言葉が当てはまるのかどうかも疑問。

あと、キスもないと思う。
手と手を触れ合わせることによって内部的にソフトウェアを接続できるようなので、人間にとってのキスはアンドロイドにとって別の行為である方が自然ではないか。和平ルートの最後の切り札として、銃を構えた兵士に取り囲まれる中でマーカスとノースがキスをしてそれが世論に決定的な変化を起こす、という描写がやりたかったのは分かるが。これで相方がジョッシュの場合は世論がいまいち変化しないのでそのまま無慈悲に撃ち殺される、みたいなアイロニーを忍ばせてあれば良かったかもしれない。