zenioのゲーム記録

自分用ゲームプレイ日記

【レビュー】FARCRY5

大自然の中で銃を持った武装組織に対してちまちまステルスしたり爆発させたりしながらワンマンアーミーしてぶっ殺しまくるゲームのシリーズ第五弾。今作はアメリカのモンタナ州を舞台に、武装カルト集団が敵役。敵の集団を相手にちまちまステルスしたり豪快に爆発物で吹っ飛ばしたりするところが楽しい。(バカの感想)

 

本シリーズは三作目でゲームシステムがカジュアル化されて一気に大ブレイクしたが、それ以降は大きな進歩がみられていない。ゲームシステムに関しては乗り物として車以外に飛行機やヘリが追加されたり、AIが操作する相棒を随伴できたりする以外には大きな変化はない。なので面白いゲームであることは確か。乗り物の操作もヘリ、飛行機に至るまでカジュアルで敷居が低く、UIはそれなりにこなれており、快適にプレイできる環境は整っている。

 

しかしオープンワールドサバイバルゲームとして見たときには、世界のハリボテ感がぬぐえない。似たような建物、似たような内装、種類に乏しい動植物。意義の乏しい釣り要素。バリエーションの少ない武器、乗り物、主人公の服装。それらの貧弱なカスタマイズ要素。あくまでオープンワールドはステルスシューターのための舞台と割り切られている。シリーズ作品のリリースの速さを考えると、これは欠点であるというより特徴というところかもしれない。ハリボテとは言えどグラフィックは美麗で美しく、出来の良いハリボテである。

 

以下ネタバレに触れる。

 クソの極み、強制イベント

オープンワールドで、自分の好きな順番でミッションをこなしながら拠点を開放していくのが楽しいゲームなのに、一定以上ゲームを進めるとマップのどこにいようが敵のボスに捕えられてダラダラした現実感のない会話を聞かせられた後に縛りの多い正面切った戦闘を強制されるという、クソの極みのようなイベントがプレイヤーを襲う。これが何度も何度も来る。多分開発側はプレイヤーがイラつくの分かっていてわざとやっている。アサクリ含めて似たようなゲームを山ほど作ってきて、分からないわけがない。シリーズ恒例のラリった妄想の中で撃っても撃っても死なない敵と戦わされたりもそうだが、こういうのをプレイヤーが嫌がるのを知っていてわざとやっていると思う。

エンディングにも関わるが、単なる殺戮ヒャッハーゲームじゃないですよ、とでもプレイヤーにアピールしたい感が伝わってきて不愉快。お高くとまっている。こういうのは必要ない。バカのためのゲームを作っているバカだという自覚を持ってほしい。俺たちはクラッチニクソンになりたいだけなんだよ。

 ストーリーそのものは陳腐だが悪役は映えている

強制イベントで無理矢理ストーリーラインにプレイヤーを巻き込むような仕様になっているが、そこまでして見せる必要があるような大したストーリーではない。が、強制イベントで溜めさせられるストレスもあいまって中ボス3人が心からぶち殺したくなるようなキャラになっているのはとても良い。特にジョン・シードがいいですね。あのプロモーションビデオとか「YES」というキーワードの使い方がうさん臭くて最高。山の看板をぶっ壊しに行けるのも楽しい。

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この看板の胡散臭さとぶっ壊しに行けるのがすこ

賛否両論エンディングについて

発売当初から物議をかもしているエンディングだが、個人的にはアリだと思っている。ファークライってそもそもそういうゲームだし…。というのは置いておくとして、この物語の最大の仕掛け「プレイヤーがそもそも干渉しなければよかったのか」問題に絡む重要な論点である。

プレイヤーにはオープニングで選択肢が与えられる。ラスボスである「ファーザー」ジョセフ・シードを捕まえない、という選択肢だ。彼に手錠をかけずに放置しておくと、イベントが勝手に進行して、保安官たちはエデンズ・ゲートを放置して去るという最速エンディングを迎える。一方で、ここでジョセフを逮捕することで物語が始まり、結局最終的に核爆弾の投下によって世界滅亡、物語にかかわった人も多くが死に絶え、プレイヤーの努力も水泡に帰すことになる。

一方で、ゲームの中で繰り返し「関わるな」「お前さえ来なければ」というメッセージが敵味方から発せられ、まじめにストーリーを受け止めてしまったプレイヤーが「自分が最悪の事態を招いてしまったのか…」と思ってしまうように仕向けられている。続編ではおそらくこの手でジョセフに洗脳された主人公の姿が見られる。

 大間違いである。

核戦争が起こることとエデンズ・ゲートとの抗争とは無関係である。そもそもホープ・カウンティ中で略奪、虐殺を行っているカルト集団は絶対悪であり、法の番人として見過ごす選択肢はあり得ない。カルト殺すべし。

この手はカルトの洗脳の常套手段である。すなわち、罪悪感を植え付け、負い目を背負わせ、その負い目に付け込んでコントロールするという古来から伝わる由緒正しい洗脳術である。古事記には書いていないが、聖書にも書いてある。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」好みの女性を見ればほとんどの男はちょっとくらいスケベな目で見るに決まっているわけだが、このように無理矢理、他人に罪悪感を植え付けるのがカルトの洗脳手法なわけです。

多分こういうことを表現したいのだろうとエンディングを見ていて思った。つまり意図的な不愉快感を演出するためにこのエンディングも「分かってやっている」のだろう。実にお高くとまっている。